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| 中居屋重兵衛 |
重兵衛は此の地に生まれ、育ちました。二十歳の時、江戸に出て、書店和泉屋善兵衛方に身を寄せ、国学・儒学・蘭学・医学・砲術・武術などを学びました。
三十五歳の時「子供教草」という本を出版しました。このなかでは「利を以って利となさず、義を以って利となす」と人間の生き方を述べており、重兵衛の生涯を通じての生き方でした。
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| 集要砲薬新書 |
「集要砲薬新書」は当時秘伝とされていた火薬の作り方などを公表したものです。翌安政三年には、「和蘭文典読法」「和蘭文典訳語筌」の出版に努力したと序文を書いています。横浜開港と同時に、豪壮な店を建て(銅御殿<あかがねでん>と呼ばれた)開明派幕吏の支援を受け横浜一の貿易商として活躍しました。安政六年六月より十月までの生糸輸出三万五千斤の約半分は中居屋が売り込んだものと記録に残っています。
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JR万座鹿沢口駅前 中居屋重兵衛の碑 |
学者であり、商人でもあった重兵衛は「浜の門跡様」と呼ばれていました。重兵衛の考え方は尊皇開国であり安政の大獄でおこなった井伊大老の行為を「国を誤るもの」と考え身の破滅をもかえりみず浪士の支援をしました。
桜田門外の変で使われたピストルは重兵衛が提供したと伝えられています。重兵衛は四十二歳の時幕吏に追われて横浜の店を逃れ、謎の死をとげました。横浜開港第一の功労者であり、地元群馬の生糸産業の基礎を作った先駆者といわれています。
平成三年一月、北大路欣也が重兵衛を演じ、映画「動天」として全国一斉に上映されました。また、平成十五年十月、横浜の店舗跡にメモリアが建立されています。 |